今回のインタビューでお話を伺ったのは、セルフエステサロン ミューフルで働く「スキンケアインストラクター」山浦 英璃(やまうら・えり)さんです。
かつて「歌手になる」という夢を追っていたものの、自分自身と約束した “大学卒業までにデビュー” というリミット(期限)までに達成が叶わず、夢を失ったまま社会へ出ることになったといいます。
1社、2社と転職を繰り返しながら、「自分と向き合う必要性」に気づいた英璃さん。そこからどのような道を歩み、どのようにして今に至るのか?
「大企業に就職して、エリートの道を歩いて欲しい」
そんな両親の願いと自分の夢とのはざまの中で “自分らしさ” に辿りついた、失った夢をもう一度取り戻し、そして叶えるまでのストーリー。
その過程において大きな意味を持った「Beauty Japan コンテスト」(以下、BJコンテスト)の舞台裏と共に記事をお届けいたします。
BJで語られた仕事への想い
── 本日はよろしくお願いします。さっそくですが、現在のお仕事内容や、BJコンテストのスピーチ内容について伺ってもよろしいでしょうか。
英璃:美容関連のお仕事で、BJ東京大会でステージに立った時点では直営サロンの統括マネージャーをしていました。
一般的にエステサロンと聞くと、エステティシャンが施術などを全部提供するイメージがあると思いますが、私たちのサロンは「セルフエステ」になります。
── セルフエステというのは珍しいですね。
英璃:私たちはインストラクターとして「指導」を中心に行い、お客様が「自分でキレイになる」ためのサポートをしています。
会社に所属しているので、弊社メーカーの基礎化粧品を正しく使い、お客様の肌質に合わせた方法や回数、インナー商品のサプリメントなどを提案しています。
女性社員が「すっぴん」で働いている、ちょっと珍しい会社だなと思っています。
── 動画を拝見させていただくと、現在のお仕事に強いミッションを持っている印象がありました。
英璃:今の会社は、私が本当に「入りたい!」と思って入った会社なので、とてもやりがいを持って働いています。
本当に肌のことを考えているから「すっぴん」でも人前に立てるんですという、説得力のある会社なのが入社の決め手にもなりました。
ただ実をいうとここは3社目で、それまでは転職を繰り返していたり、さらにいうと大学生までは「歌手」を目指していて、夢がやぶれた経験もしているんです。
── やりがいのあるお仕事に就ける人の割合ってそんなに多くない印象が私の主観ではあるのですが、どのようにして今のお仕事に辿りついたのか興味あります。
英璃:では、学生時代から現在のお仕事に至るまでの流れを、時系列で少しお話させていただいてもよろしいでしょうか?
私が今の仕事に就けた背景を考えると、「自己分析」や「振り返り」は欠かせない取り組みでした。
夢を失い社会に出た、その後
── ではさっそく、英璃さんのこれまでの人生ストーリーを振り返っていただきたいと思います。まずはどこからいきましょうか?
英璃:小学生ぐらいのところからお話をさせていただければと思います。
というのも、今のセルフエステ事業に携わるまで私は「なんとなく」で仕事先を選んできたんです。
その一番の原因は「歌手になる」という夢を失った状態で社会に出てしまったことにあります。
── 歌手になる「夢」をお持ちだったんですね!
英璃:歌うことが元々好きだったのですが、大きなキッカケ自体は高校時代に訪れます。
小学校の1年生から5年生まで、父の仕事の関係でイギリスに住んでいたのですが、その結果、帰国後は日本の勉強についていけず、ずっと落ちこぼれだったんです。
そのため、中学2年生になる頃には3者面談で親と一緒に先生に呼び出されるようになってしまって、さすがにこれはヤバイと思ったんです。
── 進学にかなり支障が出そうな状況ですね…。
英璃:そうなんです。でも負けず嫌いな性格なのもあって、そこから猛勉強をして中高一貫の女子校の特進クラスに入学することができました。
そこで初めて、帰国してから打ち込むものを持てずにいた私が、再び「歌」と出会うことになります。
文化祭で有志によるミュージカルをやらないかと先生に声をかけられて、最終的に高校2年と3年の間ほとんど毎日練習をして、『ハイスクールミュージカル』の完コピをして披露していました。
── その頃から歌手を目指すように?
英璃:小学生の頃から何かと学校の出し物で主役に選ばれたり、イギリスの学校であったコンサートや中高の合唱コンクールではソロパートを任されたりしていたので、人前に立つ免疫はついていました。
高校で『ハイスクールミュージカル』をやってからは特に、人前で表現することの快感や、やっぱり歌うことが好きだなと確信しました。
自分の気持ちとしてはその頃には本気で「歌手」になることを考えていましたが、両親からは反対はされないものの賛成はしてくれませんでした。
親としては大企業でまっとうに働いて欲しいという願いがあったんです。
高校もアルバイトが禁止で、校則も厳しいものでした。メイクもNG、髪は結ばないといけない。スカートの丈の高さや爪の長さも決められているほどで。
そのため「歌手」の夢は、大学に入ってから挑戦することにしたんです。
大学時代、歌手活動のスタートへ
── 大学入学後は無事に「歌手活動」がスタートできたんですね!
英璃:アルバイトを始め、自分で稼いだお金でボイトレに通ったりライブをするようになりました。小さな事務所にも所属して、インディーズ部門ではありますが曲を作ってもらったりもしていました。
でも最終的に「歌手」としてメジャーすることは叶わず、会社へ就職する道を選ぶことになります。
── 道のりは険しかった…と。でもここで今のエステ会社と運命の出会いがあった?
英璃:いえ。まだまだ、もうちょっと先の話になります。最初に入社した会社は「教育関連」の会社でした。
大学入学に関しても、(本気で目指している方には申し訳ないのですが…)まぁ子どもは好きだし「ここならいいかな」という程度の判断で「心理学部・教育発達学科」へ入ったんです。
その流れで、教育のことを学んできたし、教育関連の会社に入ろうと安易に入社を決めました。
── 入社後はどんな心地で働いていたのでしょうか?
英璃:塾の無料体験会の勧誘を新規営業として、個人のお宅への開拓するお仕事でした。
精神的にも体力的にもかなり辛い仕事ではありましたが、営業成績も悪くなく入社3ヶ月で部下を持たせてもらいましたし、喜んでくれるご家庭もあってやりがいはありました。
でも、「やりたい仕事」ではなかったということもあり、結果的に半年で退職することになります。
やりたい仕事を求め、転職活動の開始
── その後はどこで働くことになったのでしょうか?
英璃:ひとまず稼がないと生活できないので、アルバイト先を探すことにしたんです。そうして見つけたのがコールセンターのお仕事で、そこでバイトではなく営業アシスタントとして社員でどうかと勧められ、大きな会社だったこともありそこへ再就職を決めます。
営業ではなく、裏方のサポートの仕事が合うんじゃないかってちょうど思っていた時期でもあったので。
── そこではどれぐらいの期間を働いていたのでしょうか?
英璃:2年半の間、働いていました。
ただ、私が担当した部署は一番大きくて、営業が30人に対してアシスタントが私と先輩の2人しかいなかったんです。
その先輩もやがて産休に入ることになり、30人のサポートを私ひとりで1年以上やってきました。
ひとりで受注処理をしながら、他部署からも仕事を振られ、外線内線の電話対応にも追われていながらも、ほとんど残業せずにこなせてしまっていたんです。
── 営業をしていた頃とはまた違う大変さですね…。
英璃:そうなんです。
しかも幸か不幸か、仕切りのないフロアだったので他の部署の仕事も丸見えだったんですね。
すると私の仕事量が圧倒的に他の部署のアシスタントと比べて多いことに気づいてしまったんです。それなのに給料は私も他もみんな一緒。
当時の私は不満の塊でした。
それからストレスによる出血性胃炎になり、最終的に退職しました。
そこで思ったのは、どんな仕事内容・仕事環境であれ一生懸命やってしまう自分の性格を考えると、「本当にやりたい仕事」をしないと、いずれ限界がきて自分がダメになってしまうということでした。
そこから、私の「自己分析」が始まります。
自己分析で見えた、理想的な働き方
── 退職後はまた、すぐに別のところで働き始めたのでしょうか?
英璃:自分と向き合う時間をないがしろにしてしまうと思ったので、自己分析や振り返りに集中するため、2ヶ月の間はバイトもせず完全に休んでいました。
自分で言うのもなんですが、私は割と何でも要領よくできてしまうタイプだったので、できること自体はけっこうたくさんあり、選択肢もいくつかある状況でした。
料理が好きでクッキングスクールのライセンスを持っていたり、小学校教員の資格もある。5年間イギリスに居たので英語もできるし歌も歌える。
これらの「できること」を活かして再就職先を見つけることは難しいことではないのですが、人生の中で多くの時間を占める「仕事」をちゃんと選びたいと思ったんです。
3社目の転職ですし、失敗したくない、同じことを繰り返したくないと思っていました。とはいえ先のビジョンはなかなか見えずにモヤモヤしていました。
── 最終的には、どんな結論に至ったのでしょうか?
英璃:要領がいいというのは逆に考えると、プロと比べた時にナンバーワンにはなれないということにもなります。
なので、「できること」とは別のところへ目を向けることにしました。
そういう視点から人生を振り返ると「顔中がニキビだらけで肌荒れした時期」というのが私にとって、もっとも大きな出来事だったんです。
── ここまでの中で「肌荒れ」に関するお話が初めて出てきましたね。
英璃:元々ニキビはできやすい体質ではありましたが、大学生の頃が一番ニキビがひどい時期でした。便秘も1週間以上続くような状態で。
失恋なども重なり精神的にも落ちていて、コンビニでアルバイトをしていたので食事もコンビニの食べ物に偏っていました。それが反映されていたんです。
── ストレスや疲れ、食事などすべてが悪い方向に行っていたんですね。
英璃:ただ今だからこそ分かりますが、当時は腸と肌の状態が連動しているとは思っていなかったので改善のしようもなかったんです。
なかなか治らない上に、親からも「あなたそれ大丈夫なの…?」と指摘されるようになり、さすがにこれはヤバイぞと思うようになりました。
── そこからどのようにして肌を治していったんですか?
英璃:エステで高額のコースを選択して通うようになりました。でも、それでは半年をかけてもまったく良くならなかったんです。
皮ふ科にも行きましたが、薬でも肌が良くなる兆しはありませんでした。
そこで初めて原因から考えるようになり、食生活や睡眠不足、間違ったスキンケアに気づき、それらの生活習慣から見直すことを始めました。自分が変われば肌も変わるんじゃないかって、ふと思ったんですよね。
そしたらお金をかけることなく、半年で見違えるように肌がキレイになったんです。「これだ!」と思いました。これなら私が自信をもって伝えられるという確信が持てたんです。
そこから私の「スキンケアアドバイザー」の道が始まりました。
ミッションに目覚めた2度目の転職
── 自分が仕事としてやっていきたい道を見つけたわけですが、そこから転職にはどのようにして至ったのですか?
英璃:スキンケアアドバイザーという肩書きのお仕事を初めは探していたのですが、それって独立した人が自分に付けるものなんですよね。でもその時の私には美容のキャリアがまったくありませんでした。
そこで次にインターネットで「美容インストラクター 募集」というような検索をかけたら、今の会社が見つかったんです。
そこには中途採用の募集案内があり、1ページ目に書かれた理念や仕事内容をみてピンときたんです。
そこからすぐに面接をしてもらって無事に受かり、今に至ります。
── 紆余曲折ある中で「やりがいのある仕事」に辿り着いたわけですね。実際に働いてみた体感としてはどうでしたか?
英璃:おかげさまで、これまでお仕事をさせていただいた3社の中で一番楽しく働かせてもらっています。
キャリアアップしやすい会社なので、およそ2年で店長になり、その半年後にはサロンの統括マネージャーになりました。
肌もますますキレイになり、好きだったメイクも休日以外はしなくなりました。ファンデーションに関してはもう2年半以上せずに過ごしています。
── 理想的なお仕事にも出会い、これからはずっと今のお仕事を続けていく予定ですか?
英璃:私自身が、スキンケアはもちろん、食事などの生活習慣や、考え方やマインドも変えることで改善をしてきました。
この『美×食×心』の3方向すべてからアプローチすることが大切だと考えているので、美容のお仕事も継続しつつ、ゆくゆくは食事やマインド面のアドバイスもできるように「独立」も視野に入れています。
今現在は店舗の店長として働きながら個人の活動にも力を入れています。
それぞれの道を歩む仲間との出会い
── 統括マネージャーとしても忙しく働く中、BJコンテストにも挑戦した理由というのは何だったのでしょうか?
英璃:元々独立は視野に入れていたので、お仕事が2年目に入った時、丸2年働いたら分岐点だなという想いがありました。
さらに自分と向き合い、新しい種を蒔こうと。
そんな時に偶然BJコンテストの存在を知り、これは起爆剤になると思ったんです。キャリアがテーマのコンテストというのが特に魅力的でした。
── 本番以外にもレッスンがいくつも用意されていたと思うのですが、そのあたりはどうでしたか?
英璃:レッスンや出会い、活動を通して自分が本当に伝えたいことがパズルのようにはまっていって、最近になってようやく自分の中に軸ができたなという感覚があります。
学校と異なり、待ちの姿勢では学習の機会がないのが社会人です。そういう中で学ぶ機会を用意してくださっていることは私にとっては大変貴重なことでした。
── BJコンテストでは東京大会、日本大会と進む中で多くのライバルであり仲間たちとの出会いもあったと思います。
英璃:外に行かないと新しい人と出会う機会もなく、今までの枠にとらわれてしまうのも会社員をしていると起きやすいように感じています。
これから独立を視野に入れるのであれば横の広がりは非常に大切なものになると思うのですが、その最初のキッカケとしてBJコンテストがあったように思います。
さまざまな職種、働き方、生き方と出会うことで、私の考え方の幅にも広がりが生まれました。
紹介を惜しまない人たちが多いので人脈やつながりも増えましたし、そこからビジネスに発展することもありました。
仕事をしていく仲間、同士のような関係性がますます広がっています。
BJコンテストはまさに表現の場
── コンテストの本番ではダンスやウォーキング、プレゼンテーションなど多くの伝える場が用意されていましたが、実際の感想はどうでしょうか。
英璃:2回目の転職以降、自分と向き合う時間をたくさん取るようにしてきましたが、コンテストではそれらを限られた時間の中で「表現」するという非常に良い機会だったなと振り返っています。
衣装もそうですが、リョウコ先生のウォーキングでは、自分が理想とする女性像をウォーキングで現すという難しさがありました。
表面的な「美」ではなく、自分が理想とする女性像でウォーキングして魅せていく。そこに対してリョウコ先生は、みんな一人ひとりと真摯に向き合い、性格なども考慮した適切なアドバイスをしていたのが凄かったです。
── 具体的にはどういう感じだったんですか?
英璃:例えば私は人から教えてもらうというよりは自分で考えて確立したいタイプです。でも当然、細かく指導してもらうことでウォーキングが磨かれる人もいるわけです。
そこに対してリョウコ先生は、私には技術的なアドバイスに留め、だけど別のファイナリストにはマインドの部分から関わるような指導をする、という具合です。
一人ひとりの特性を見抜けるからこそのフィードバックなんだと思いました。
読者へのメッセージ
── では最後に、BJコンテストを含め、何かに挑戦することを考えている方にメッセージをいただけますでしょうか。
英璃:実は私自身、昔は挑戦することを恐れていた人間でした。
人と違う行動を起こすことを恥ずかしく思っていたし、人からどう思われるかも気にしていたし、余計なことを考えすぎて “一歩を踏み出せない” 経験がたくさんありました。
その度に後悔し、チャンスを逃してきて、そんな勇気が出せない自分が嫌だったし、このままの自分で人生後悔で終わらせたくないと思って、大学生になってから自分の力で歌手活動や様々なことにチャレンジをするようになりました。
挑戦をする中で、悲しいことも、悔しいことも、失敗することもたくさんありましたが、嬉しいことや楽しいことや達成感などももちろんたくさんあって、すべてが人生の勉強となり、今の私を作り上げる大切な財産だと思っています。
“やらない後悔より、やって後悔” とよく言いますが、まさにその通り。
「やってみたい」という気持ちが少しでも芽生えたならば、自分の心に正直に、恐れずにその一歩を踏み出して欲しい。そう願ってます。
今日はありがとうございました。
■山浦 英璃(Yamaura Eri)
スキンケアインストラクター/美容家/インナービューティーダイエットアドバイザー/Beauty Japan 2019 Grand Finalist
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